2004年 1月 31日 (土)

パジャマで来て,パジャマで帰る
午後3時。
無事,退院。

「おりちゃん,パジャマで来て,パジャマで帰るの??」
看護婦さん,びっくり。

入院する日,
朝起きて,慌てて,そのまま病院へ来ちゃった。

しかも,真っ赤なパジャマだった・・・。

今度から気をつけよっと。
って,あと1回か(笑)




2004年 1月 30日 (金)

うさっこ,これからどうするよ?
昼,また,うさっこが来てくれた。

アイスを食べながら,話した。

すると主治医の先生が来て
「昨日,大変だったらしいね。
でも,その調子だと,もういいね。」
とニコニコ。

「トイレで考える人,やっちゃったよ。
しかも,廊下をハイハイしちゃった。」
と伝えると,先生とうさっこは,笑っていた。

うさっこ,これからどうするよ?
まぁ,ゆっくり考えていこ♪




2004年 1月 29日 (木)その2

考える人 in トイレ
日記書いて,メールチェックして,BBSに書き込みしてたら
9時半過ぎちゃった。
入院患者さんは,10時までに手続きしなきゃ。
滑り込みセーフになるか?!
ヤバかったかも。

今回は,弟がついて来てくれた。
(ただ今,帰国中。また2月末に行っちゃうよぉ)
入る部屋によって,この三日間の運命が決まる。
最初に入院した時は,個室だったからよかったけれど
一度退院してからの入院は,大部屋。

前,プチイジメにあってしまって,そこから
ビクビクなんだよね(泣)

前回と同じ部屋になった!!
最高だわ☆

部屋に入ると,メンバーは変わっていなくて
「また来たね。ここがいいんだね。」
と,みなさん暖かく迎えてくださった。

し・あ・わ・せ♪

まず,採血・採尿,心電図,肺機能検査。
ここで,間違えた。

主治医の先生から
「まだ,首に小指の頭くらいの大きさの腫瘍があるんだ。
6クール終わって,1ヶ月くらいおいてから放射線治療
をするかもしれない。
この前,肺のレントゲンを撮った時,まだ残っていたしなぁ。」

放射線,ホウシャセン,ほうしゃせん・・・。

放射線という言葉が,頭の中をぐるぐる。
マインドコントロールか。

間違えて,放射線科へ行ってしまった。
「おりちゃんさん,本日予約は入っていませんよ。
心電図と肺機能検査ですよ。」

あはっ(^^;)
やっちまったべ。

先生,一ヶ月おくのも一ヶ月半おくのも変わらないなら
4月18日まで,治療を待ってください m(_ _)m
どうしても,5km走りたいの。
走れなかったら,歩くからさ。
ほんと,お願い。

っていうか,消せばいいんでしょ,消せば。
まだ,6クール終わらなきゃ,わかんないでしょ。

さぁ,イメトレ強化!!

肺機能検査の結果。
肺の末端がつぶれているかもしれないって。
誤差かもしれないけれど。
標準値以内なんだけれど,前回よりも結果がよくなかった。
時間が経てば,回復するらしい。

ま,しゃ〜ない。
あと,化学治療も1回だしね。
肺よ,何とか,耐えてよ!!

昼,今までの睡眠不足を解消すべく,爆睡。
別の病棟から,友達のうさっこが来てくれた。

最近,連絡とっていなかったから,心配だった。
彼女は,いつも私が治療入院の時に来てくれる。
うさっこ,ありがとね☆
ベラベラ話しているうちに,夕ご飯。

この後,私の史上最悪な闘いが始まった。

午後8時半。
吐き気止めを変えてもらったにも関わらず,吐いた。

この吐き気止めは,全く,私に効かなかった。
もう一人の担当の先生が
「製薬会社に言っておくわぁ」
と,ブツブツ言っていた。

第一波が通り過ぎた後。

夜中,吐くのが止まらなくなってしまった。

次第に体力が奪われ,部屋とトイレの往復ができなくなった。

ついに。
トイレの床で,“考える人”の格好になってしまった。
“考える人”と違うのは,何も考えていないこと。

ハイハイでトイレから出て,廊下をハイハイしていたら
看護婦さんが気付いてくれた。

「あかん。もう,止まらん。」
部屋で吐くのは,他の患者さんに迷惑かけちゃう。
う〜む。

結局,ナースステーションでゲロゲロしていた。

うはっ!!
まっ黄色いの,出てきたっ!!
これが,胆汁ってやつ?

わぁお。

午前3時。
吐き疲れた私は,やっと眠りにつくことができましたとさ。




2004年 1月 29日 (木)

いってきます!!
連日の夜遊びのせいで,そろそろガタが来たっぽい。
昨日,家に帰ってきたのは,日付が変わる直前。
やっちまったべ。

お風呂入って,寝ようとすると,筋肉の震えが。
やべ〜。
カリウム不足じゃ。
あわてて,スローケー飲んだ。

朝,起きるとお父さんは,出かけた後だった。
しまった。
すると,お母さんが
「今日,仕事帰りに病院寄ってくれるみたいだよ。」
と言った。

そう。
今日から,たぶん三日間治療入院。

5クール目,開始ナリ〜♪
水泳で言うと(私の学校だけ?)
ラスト前,一陣,よ〜いGO!
って感じ。

それじゃ,いってきます!!
更新,待っていてね。

ちなみに予告しておくと
・私の過去話
・兄やんについて
・心の変化
・リンク
のページ,作ります。

言ったからにゃ,やらないとね(笑)
点滴で,ノコノコくたばっていられないわ。

ほんじゃ,また。




2004年 1月 28日 (水)

WebMasterと書いてウェブマスターと読む
朝帰りしちゃった♪
・・・友達の家からだけどさ。

帰ると,お父さんがめっちゃんこ笑顔で
「アクセスカウンター,いくつだと思う?」
って聞いてきた。

見てみると,73!
すごいっ!
ありがとうございます。
しかも,メールをくださる方や
掲示板に書き込みしてくださった方もみえて
とってもうれしい☆
パワーをいただきました。
ありがとうございます!!

同じホジキンリンパ腫で現在経過観察中で
HPを作ってみえる直樹さんが
「これからは,WebMasterとしてよろしく」
と言ってくださった。
おぉっ!
WebMasterなんて,かっちょいい♪
てへへ★
直樹さんのHPへのリンク,貼るから
ちょっと待ってて。

朝は,爆睡。
起きると,お昼。

バナーをつくってみようとしたけれど
わからんくなってもうた。

リンクのページを作りかけたところで
兄やんからの夕ご飯お誘いの電話が。

ご飯だ!
入院前,最後の晩餐だわ★

私,病気になった人は,前向きにがんばるっていうか
人生たのしんじゃお♪ってなると思ってた。

兄やん曰く
なかなか,そうはなりたくてもなれないのが
現実らしい。
「俺が病気になったら“何で,俺が?”って
納得できんもん。
それに,落ち込むと思う。」

そうなんだ。
その前に,兄やん,あんたはすごいよ,とでも
言っておこう。

あ。だから
「おりちゃんって,強いね」
だとか
「すごいね」
と,みんな,言ってくれるわけね。

自分にとってたいしたことないと思っていたことが
人にとっては,重大なことかもしれない。

自分の尺度って、自分のものでしかない。
じゃ、あなたの尺度で測りますって言ったって、できない。

逆もある。
自分にとっては、重大と思っていたことが、
他の人にとっては、たいしたことないかもしれない。

だから、人って難しい。
だから、人っておもしろい。




2004年 1月 27日 (火)

昨日,寝る前に,吉井怜さんの手記
「神様,何するの・・・」を読んだ。
眠たかったはずなのに,読むのを
止められなくなってしまった。

お母さんが読んで
「おりちゃんと言っていることが似ているよ。」
と言っていた。
「あ,わかる」って,共感できるところが
たくさんあった。

移植するって決めたのは,勇気がいっただろうな。
移植も治療も命懸けだよね。

病気が見つかってから,すぐ,この本を読みたかった
けれど,何となく読めなかった。

先をみることができなくて
「叶わない夢はみたくない」
と思っている部分があったからかなぁ。

読み終えると,気持ち悪くなってしまっていた。

なぜ?

どうやら,治療のことを思いだしてしまったみたい。
今週木曜から治療入院ということもあって
頭がぐるぐるするし,
もう,思考回路は止められません状態に。

結局,兄やんに電話した。

電話を切ったら,すぐ寝ちゃった。


今から,友達とご飯を食べに行ってきます。




2004年 1月 26日 (月)

本日の目覚ましは,左ひざのビシビシッという激痛。
すごく痛くて
「い,い,い,いたいっ!」
と,お布団の中で叫んだ。

何とかリビングにたどり着くと,お母さんを呼んだ。

痛み止めを飲む前に,何か食べないと胃が痛くなる
と思って,叫びながら根性で抹茶コーンフレークを食べた。

薬を飲んだ後,お布団へ戻って雑誌を読んで気を紛らわせた。
すると,そのうち眠たくなり,寝てしまった。

起きると,お昼。
「そろそろ,支度しなさいよ」とお母さん。

ん?
あ,白血球を上げるための注射を打ちに行くんだった。

その前に,お腹空いちゃったよ♪

カリウムを上げるために,生野菜とくだものを
食べるようにしていて,そのおかげで
毎日,大好きなアボカドを食べられている☆

アボカドを細かく切って,キャベツを千切りにして
それにぎゅ〜とレモンを搾って,いただく。

これが,おいしい!

食べて,病院へ行った。

処置室に入ったとたん,吐き気が。
こうして書いている今も,なんだか気持ち悪くなってきた。
“処置室”
“点滴”
“入院”
これらの言葉を聞いただけで,うぅ。

点滴がトラウマになっているみたい。

この前も,テレビで点滴シーンが出てきて
うえってなった。

それぐらい,点滴は天敵。

治すための味方なはずなのに・・・。




2004年 1月 25日 (日)

4月に行われるフルマラソンの
下見&気合い入れに、家族で行ってきたよ。
今の治療は、2月末終了予定。
腫瘍が消えていなかったら、放射線治療あるいは、移植。
それは、どうか勘弁。
絶対、2月末で終わらせてやるっ。
走るために。

ということで、毎日イメージトレーニング。
フルマラソンのゴールをするシーンを思い浮かべている。
人間の脳って、イメージしたものに近づこうとするんだって。

このことは、友達で実証済み。
フライトアテンダントになった彼女が、
「おりちゃんの言ったことは本当だなって感じたよ。」
と、言ってくれた。
その友達に、一昨年のクリスマスパーティーの時、
イメージしたものに近づこうとしていく話をしたっけ。

覚えていてくれていたのね。
私は、忘れていたけれど(笑)

おかしなことに、去年フルマラソン走った時の
スタートは、しっかり覚えているのに
ゴールについて、うろ覚え。
どうやってゴールをしたのか、覚えていないの。

お父さん曰く、
あまりにへろへろだったから、記憶がないのでは?

それっぽい。
最後の上り坂をランニング仲間の方が
一緒に走ってくださったことだけしか覚えていない。

あっ、ゴールした時、見知らぬおじいさんが
泣いている私に
「あなたのマラソン人生は、今から始まりました。」
と声をかけてくださったことも、覚えている。

ほら、やっぱり、ぐでぐでしている場合じゃないわ。
はやいところ、治さないとね。

去年、フルマラソン、初挑戦、初完走だったんだ。
それまで、最高20kmしか走ったことなかったのに
“ダメもと”と思って、申し込んで、走っちゃった。
途中、何回も辞めたくなった。
時間制限の関門があることも知らなくて
びびりながら走った。

あれだけ短時間に窮地へ追い込まれたことは
初めてだったよ。

よく、走ったものだ。
自分でほめておこっと。

あの時に比べれば、今の治療は
精神的に追い込まれない分、楽かなぁ。

灯台の近くにあったお店で,お寿司を食べた。
う〜っ すごくおいしかった!

その後、海へ。
きらきら光って,とてもきれいだった。

この海は、中学生の時に初めて行って
「日本にも、こんなきれいな海があるのね」
と感動して、海をすきになったきっかけの場所。

冬の海もいいねぇ。

夜、学生時代の友達が
「渡したいものがあるから」
とはるばる家まできてくれた。

くれたものは
なんと!千羽鶴だった!!
部活の後輩、クラスの友達、先生までもが
折ってくださったそう。

あまりに感激しすぎて、涙も出なかった。

ただ、ひたすら
「すご〜いっ!ありがとう」
と叫んでいた。

本当にありがとうございます。
こりゃ、治療に耐えるっきゃない。
ありがとう。
がんばるわっ☆











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